エンディングノートには「どこで最期を迎えたいか」
□ 自宅
□ 病院・ホスピス
□ 家族に任せる
という欄が大抵あります。
どこで最期を迎えたいか。
エンディングノートをお勧めする立場としてはご本人の意向を最大限汲んでほしい。
しかし一方で
<家族が介護離職をするほど追いつめられる>
<家族が思わず手を出してしまうほどに追いつめられている>
<母親との関係が近すぎる。ずっと母親の言葉に縛られて生きてきた>
そういった状況をみることもありました。
心と身体のバランスを崩すくらいなら
介護している方自身が幸せにいられる方法を探すことも必要だと思います。
訪問介護で出会った、90代認知症の実母Mさんを介護していた70代の娘さん。
認知症のMさんは、よくAさんの子どものころを思い出しています。
「あぶないよ!あぶないよ!Aちゃん信号だよ」
「こっちにおいでAちゃん。こっちにおいで」
Aさんを溺愛していました。
しかし、優しいAさんは母親の溺愛をふりきることができず、期待に応えることをずっと続けて早70年経ったのです。
いつもいつも「Aちゃーーーーん!」「Aちゃーーーーん!」と呼ばれ、介護をする一日を送っていました。
ずっと母親に呼ばれたら駆けつける生活を過ごしてきたAさん。
常に母親に呼ばれている、気がすると耳をふさぐくらい母親の声がこびりついているようです。
心のバランスを崩し、心療内科に通いながら、講不安薬を飲みながら介護されていました。
実母の愛情ゆえの干渉とわかっているのでずっと言うことを聞いてきたAさん。
70年間培ってきた思考です。
縛られていることはわかっていても、どうにもできないから苦しまれていたのだと思います。
とはいえ、親にとってはいくつになっても子どもとはいえ、Aさんは70代。
Aさん自身が自分のことだけを考える時間を少しでも持ってもらいたいと願いました。
私たち訪問看護や、訪問介護、巡回入浴など、援助者がいる時間だけが娘さんの骨休めの時間。
娘さんは別室にいて、その時間はいくらMさんに呼ばれても出なくていい時間、と決めました。
「母の遺産」という読売新聞の新聞小説をご存知でしょうか。実母との葛藤を淡々とした書体で、それなのに湧き上がるような感情が書かれています。この小説をふと思い出しました。
参考
「ママ、いったいいつになったら死んでくれるの?」
衝撃的な文言のように感じるが、日々思い出と現実を行き来する娘の感情が息を呑むほどのリアリティ。読売新聞の小説なのだが、毎週楽しみで朝、小走りでポストに新聞を取りに行っていた。
自身の老いや姉妹の難しい関係性、夫の浮気や老後の生き方など、小説らしいゆえ重たいテーマも読み進められる。不思議と読後、清涼感がありました
認知症の方はいつもわからないのではありません。
物事の覚えがないことも多いですが、感覚は残ります。
時折非常にしっかりした口調で「おむつ交換のやり方が娘と違う」とつぶやいていました。
娘さんの方法を真似ているもの、違いがわかるんですね。
そのことを娘さんにお伝えしたところ
「あの人の怖いところはときどきハッキリするんですよ」
身震いしていました。すべてを見透かされている、と。
実母との関係が深すぎる場合、施設利用ができるといいのかもしれません。
物理的な距離をあけないと行き詰まってしまいますから。
在宅介護はただでさえ、距離感が近く悩みがち。
母親が娘を溺愛しているような場合は
「愛情」という名のもとに娘さんが身動きできないこともあります。
実母との関係に悩む方へ
愛情という名の支配を受けてきた娘たちが新しい家族の枠組みをどう構築していけばいいのか、母親との葛藤を感じている自分を客観的にみることができると思います。根性論ではなく、長年家族関係を見つめ、カウンセリングをし続けた著者ならではの視点から多くの学びがあります。
アディクション臨床入門は読みごたえのある書。
自身の家族関係について心理学の面からさらに思考を深めたい方も、専門的な書としては丁寧でわかりやすい。
また、医療職で家族支援をする機会のある方は
アディクションとは何か、当事者は誰なのか、家族変化の起動点を構築することはカウンセリングに必要初回面接の重要性など、支援の根本を学べるのでおススメです。
また信田さよ子さんの著者は知識だけでなく、長年、悩みに寄り添ってきた経験を交えた机上だけでは決して出てこない相談者に徹底的に味方であろうとする視点がとても深く心にささります。
ちなみに私の希望です。