エンディングノート。
自分自身は強く関心を持ち学びつつも、40代の同世代はまだまだ興味がないものと思っていました。エンディングノートセミナの参加者は70代が中心だそうですし。
ところが、友人に「エンディングノートプランナーの資格を取った」と話すと、思った以上に関心が高いのです。これは驚きました。
医療職以外のお友達です。
その中で、困っているお友達がいました。親にエンディングノートを書いてほしいと話したところ断固拒否だったとのこと。
友人の父は70代後半。とても元気な方でしたが、今春に大病をし、入院と手術を経て、いまは元通りの生活を送ることができています。友人は長女。いくら元気な父親でもこうして急に倒れることがあるんだ・・・と病院を行き来する中で痛感したそうです。
そしてエンディングノートを書いてもらおうと試みたのですが断固拒否されたそう。
「もうすぐ死ぬんだよ」
「さっさと死んでほしい」
「あの世に行くんだから」
こんなふうに受け取ってしまったのでしょうか。
「あーあ。そんなつもりじゃないのに!」
私は彼女が病院の往復をし、頑張っていたのを見ていたので「本当にそうだよねえ」「あんなに心配していたもんねえ」と残念な気持ちになりました。
倒れた際に、親の意思がわからなかった経験をしたからこそ、親の考えを知りたいんだ!ということが伝わらない。
また、兄弟との意見の食い違いも経験し、本人の意思を残す大切さを痛感したからこそ書いてほしい。
彼女の話は医療従事者としても本当によくわかります。
兄弟の意見の食い違いなんて限りなく平行線です。お互いに間違ってことを言っているとは思わないのでこじれる一方。
正義と正義の食い違いにどちらかがひくことは難しい。
ひいたほうの心にずっとわだかまりが残ることもあります。
だからこそ治療を受ける本人の意見が一番!家族が揉めずに、過ごすことができるのです。
エンディングノート。
名前はずいぶん知られてきました。しかし、名前のインパクトから「遺言みたいなもの」「死に支度」と勘違いされることがあるようです。先日紹介した「もしもの時に役立つノート」のようなオブラートに包んだものなら抵抗感が少ないかもしれません。
親にエンディングノートを書いてほしいと切り出すときには、葬式や最終段階の医療の話はおいおいしていきましょう。
まずは
「お父さんが入院したとき、これでお父さんの意思は大丈夫かな」と心配なことが多かったの。
「万が一、また入院するようになったとき困らないように保険証の場所、お薬のこと教えて!」というような
「事実困ったこと」+「今後困らないようにするためのプラス思考」の提案をしていくのがおすすめです。
「お父さんがまた何かあったら困るから」という言葉は当事者のお父さんにとっては冷たく感じます。
「お父さんに何かあったら(私が)困るから」という一方的なメッセージとして受け取るからです。
また、少なからず「家族に迷惑かけたな」と自分でも今後のことを考えて不安な気持ちをもっているだけに、責められているように感じてしまうようです。
同世代の友人が親のことを心配する年齢に差し掛かりました。
今後のことを、親自身のためにも準備してほしい!と願う反面、元気な親ほどなかなか考えてもらえないことがわかりました。
エンディングノートが未来へつながるイメージのものとして受け取られるといいのだけれど。
そのためにエンディングノートプランナーとして、何ができるだろうかをここ数日ずっと考えています。
すでにご自身でエンディングノートを買ったり、セミナーに出ている方は大丈夫。しかけがなくてもさっさと書くでしょう。
私はそうではない、なかなか着手する気になれない方がエンディングノートを書いてみようかな!と思ってもらえる活動をしていきたい。親子で気軽にエンディングノートを書けるようなことはできないかな。
現在厚生労働省で進めているACP(アドバンスケアプランニング)でも、家族とあらかじめ話しあう必要性が望ましいと言われています。このあたりを元気なうちに考えていきたくなることを今後実現していこうと思います。