相談業務をしていて思うこと。
社会は、言いやすいひとや物腰が柔らかいひと、優しそうなひとに背負わせすぎということ。
仕事をしていると、自分の業務と自分が関わらない業務の境界線上の仕事が多数発生する。普段の仕事を円滑に進めるための下準備や雑用もある。
誰がやってもいいけれど、ちょっと面倒なこともある。
こういった仕事を誰に頼むかというと「言いやすい人」が選ばれがち。
「ガッ」と言い返す人には仕事を振るのが面倒、いやな思いをするから、と「心地よく仕事を振れる」ということを優先する人が多すぎる。
だから「言いやすい人、優しそうな人」は複数の人から頼まれていたりする。
同じ仕事をしていても、実は抱えている仕事の分量が「言いやすい人、優しそうな人」だけ多い。
ひとりひとり背負える荷物の量は決まっている。いわゆるキャパシティだ。
「言いやすい人、優しそうな人」が親切で少し荷物を多めに持とう、と考えたときにちりが積もれば・・・でいつの間にか抱えきれない量になっていることがある。気遣いがあったり親切なひとにつけ込んではいけない。
本当は上司が目配りしないといけないのだけど、境界線上の仕事や雑用は目に見えにくい仕事で把握しづらい。
そうなると、やっぱり、自分の身は自分で守らないといけない。
いい人に限って職場からいなくなる、というのは当然の結果だと思う。
自分の心を壊してまで、自分が歩けなくなるまで他人の重たい荷物を背負わなくていい。
元々、自分がもっている荷物の量もそれぞれ重さの違いがある。
仕事量40%、子ども20%、親20%、なら、他人のために背負える荷物は20%分しかない。もし100%まで荷物を背負ったらよろめいて歩けないようなら、他人の荷物はあと15%しか持てない。
自分が頼まれやすい自覚があったら、今持っている自分の荷物量を自分で確認しながら歩まないといけない。
全部持ちきれなかったら、自分の分を誰かにお願いして持って貰ったり、捨てることも必要。もちろんあらたな依頼を断らないといけない。
自分のキャパシティ100%まで積めるだけ積んじゃって歩けるタイプと、自分のキャパシティ85%くらいにして猶予を作らないと歩けないひともいる。
そこをじっくり考えると
「私はある程度負荷があるほうが頑張れる。けど限界を超えたらやっぱり歩けないから積み込みすぎないようにしよう」
「私は荷物スペースに余裕がないと疲労感で歩けないから、もう引き受けてはだめなんだ」と気づくことができます。
心に自分の荷物量と空きスペースを思い浮かべてほしい。
そして空きスペースがわずかだったら、頼まれごとは率直に断るしかない。気がつかない人にはあきらめず伝えるしかない。
いやな顔や面倒な顔されても自分がつぶれるよりずっとずっといい。
一瞬いやな顔されることを怖れて全部引き受けて歩けなくなるより、あなたが元気に毎日生きていることがいちばん大切。
本当は思いやりと優しさと気遣いと配慮で世の中回っていけばいいのだけれど、昔から人間同士って難しいんだろうな、と常に思う。
徒然草・第12段
◇同じ心ならん人としめやかに物語して、をかしき事も、世のはかなき事も、
うらなく言ひ慰なぐさまんこそうれしかるべきに、さる人あるまじければ、
つゆ違たがはざらんと向ひゐたらんは、たゞひとりある心地やせん。
吉田兼好さんだって、心持ちが同じ人はなかなかいないよなあ。たいていの場合は、相手を逆上させないように適当に相槌を打って話す羽目になる。すると鏡に向かって話しているような気分になり、虚しくなる。と言っているんだもの。
たまにはいやな顔を心のままに出すとか、いやな顔までしなくても真顔になってみるとか、「引き受けたいのはやまやまなんですが」というクッション言葉を置いて断ってみるとか。抱え込まないように、親切心につけこむ人から自分の身を守って欲しい、そう強く願います。