親はいつまでも親だし、子どもはいつまでも子どもだ。これはいくつになってもそう。30になっても。40,50になっても。60、70才になっても子どもは子どもだ。余計な口出しをしたり心配したりする。
でもいつからか親と子どものパワーバランスが変わってくる。この変わり目は親子ともにしんどい時期だ。
気持ちの上では、親は親だし子どもは子ども。なのに、あきらかに体力的に弱ったり、病気にかかったり。ふとした歩き方を見て「あれ、親ってこんなに年取ったんだっけ?」と気づく。胸が苦しいというか、切ないというか。受け入れがたいような、なんとも言えないような気持ちになる。
下手すると、そこを見ないようにしてしまうこともあるのではないか。
そうなると体力がなくなった親に甘え続けたり、まあ大丈夫だろうと正常化バイアスが働くのか忙しさにかまけて連絡を怠ってしまったりするのだ。
親が後期高齢者になったとき、子どもは30~50代。仕事や家庭や子育て、どの生き方を選択した人も、人生の中で最も忙しく日々の生活に疲れたり、ライフイベントも多い年代である。75才前後の親世代とは時間の流れが格段に違う。
ただし時間は確実に経過している。
いつ親が急に倒れるかなんてわからない。今年のお正月が過ごせても来年はどうかわからない。
親が気にならないわけでなくても、明日・・・また明日と「何かコトが起きるまで」連絡を怠ってしまうこともあると思う。
でもそれは100%後悔する。親の通院や介護やピンチのときだけではなく、もっと元気なときに親と話をする時間をなぜ作れなかったんだろうと後悔する。
大抵の人が忙しいながらも、自分のレジャーや食事会や飲み会などの予定は無理矢理でも入れ込んでいるはず。
もう少し実家に顔を出せばよかった、もっと聞いてみたいことがあった、話したいことがあった・・・そんな後悔をしないために。
まもなく年末。
混雑するし、帰省のお金もかかるから迷うこともよくわかる。近県に住んでいる距離感ならなおさら、いつでも行けると思うかもしれない。
でも、今回がラストチャンスだとしたら?どうだろうか。
親が年を重ねてきたら、また来年があるかわからないと思ったほうがいい。
また、帰省すると親子ゲンカばかりになってしまうということもよくあることだ。
親が年を重ねるごとに頑固さを増している。もちろんそれも大いにある。だが実は子ども側も同様に頑固さを増しているのだ。
それは社会経験も豊富になり自分の生き方もある程度固まってきたという自負に裏打ちされている。それゆえ、親へとてもきつい言い方をしてしまうことがある。さらに面倒なのはその割に「自分は子ども」という感覚も持ち続けていること。思いをむき出しにするという子どもじみたことを、ためらいなくしてしまう。親への甘えも相乗効果でストレートに伝えてしまう。
ここは子どもがちょっと譲るのが得策かもしれない。
後期高齢者だから75歳と仮定するとして、75年培ってきた思いや自負は子ども世代よりはるかに長い時間培ってきたものだ。
たとえ親の言うことにムッとしても、いつまでも子ども扱いだよしているんだよ、という思いがあったとしてもちょっと飲み込んでみるといい。
年を重ねた者同士の和解は時間がかかる。
せっかくやりくりして得たはずの時間を不毛な時間に費やすよりは一歩も二歩も譲る方がずっといい。
親子関係は様々だ。虐待や毒親に悩まされたりという壮絶な関係性があることも理解している。そこに譲る必要は微塵もない。
でも、一般的に見える親子関係でも小さないざこざやボタンの掛け違いが起きていることは案外あるもの。
<75歳の男性が倒れた><68才の女性が倒れた>
人ごととして聞いたら「まあそういうこともあるでしょうね」と思うのに、自分の親がそうなるとは何故か想像できない。
子ども世代は走り続ける日々だけれど、年末年始だとかお盆だとか季節の節目を理由にしてちょっと親孝行を考えてみてもいいかもしれない。
それは特別なプレゼントを用意することではではない。
顔を見せる時間を作ること、おだやかで温かい時間を過ごすように努めることが大切。
孫の顔を見せただけで満足してもいけない。親の子はあなた自身。自分で親孝行をするべきだ。
なにかカチンときても、自分が多少譲ったとしても、上機嫌な親の様子を見ていたら「まあいいか」とい思いにもなるもの。だって、自分は子どもとはいえ大人だから。