看護師として相談業務に携わって足掛け14年目となりました。
看護師は病院にいるイメージですよね。
でも実はそれだけじゃないんです。
わたしは夜間の電話相談経験があり、現在は「看護師の相談員」として、自治体で妊婦さんや子育て中の両親の相談を受けています。
相談員として私が心がけていること。これは「上から助言」しない。これにつきます。
ともに働く心理士さんたちに学んだことがとても大きかったです。他職種の方に学べる環境はありがたいです。
看護師って、病院でほんとうにほんとうに忙しい。だから<指導>を<短時間>でせざるを得ない。
問診をするにしても検温の時間でも<こちらの聞きたい情報をピンポイントに効率よく聞く>ということが多いです。
いや、みんなゆっくりじっくりやれたらいいとは思っていても、業務に追いまくられてできない現実があるんです。
とはいえ、この習慣っていつの間にかしみついてしまうんですね。
これを病院外に持ち出してしまったときに・・・傲慢に映ってしまうことがあります。
<患者さんの話を傾聴する>看護学生時代からよく使った言葉でした。
けれど、相談業務についてからわたしは真の意味の<傾聴>ができていなかったのではないか?と自問自答することが多々ありました。
<自分の取りたい情報をとる>ことは傾聴じゃないです。
脱線、も含めて、思いを思いのままにすべてをお話できることが大事だと思っています。
それには「こんなこと質問しても大丈夫かな」「こんなこと言ったら何か言われるんじゃないか」という、
相談者のおそる、おそるな気持ちに最大限配慮する必要があります。
怖くないから大丈夫、何を話しても否定しない、話しながら心の整理ができるものだから何でもどうぞ!という気持ちを
接遇で、応答で、伝わるようなコミュニケーションをこころがけています。
泣きながらでも怒りながらでも、ありのままの感情を表出していい場にしたい。
それに加えて「看護師」が相談業務をするということは、「医療的専門知識」を伝えることを期待されていると思います。
根拠に基づいた専門知識、世間で両極端にある情報から取捨選択できるように、医学的な判断を提示すること、具体的にこれからどう動けばいいかのヒント。
こちらについては日々新しい知識の勉強が必要。
でも話したいだけお話していると、必ずみなさんの中に「こうしたい」という気持ちが隠れているんです。
そのキラリとしたその人自身の核となる思いを引き出すお手伝いをし、大事にしたい価値観に沿った助言をしていくことで
「上から助言」ではなくなっていくのではないかと考えています。
誰に何を言われても、自分自身が大事にしていること、やりたいことでないと続けることはできません。
見失った自分の想いに気づけることが「相談する」大きな目的です。
単に支援、ではなくその方の持っている力を最大限に発揮できるよう後押ししていくことができれば、と思っています。
忘れてはいけないのは、相談される方の人生の中で自分は【鼻くそ】ぐらいちっぽけな存在であること。
長ーいその方の人生の中でほんの袖振り合うくらいのわずかなかかわりです。
そこでその方自身を変えてやろう、考えを改めるように、なんて関わりが傲慢極まりないのです。
自分のできることはわずかではある、けれども、せっかく相談してくださったご縁ある方が
「たくさん話して気持ちが整理できたな」「モヤモヤが少し晴れた。」
「踏みとどまっていた考えからあらためて考えてみる」「ああ、これは試してみようかな」
そんなふうにお役に立てたら本望だなあと思いながら、今日も仕事をしています。