「老害」という高齢者を指す蔑称が大嫌いだ。冗談やギャグのように「それって老害じゃん!」くらいのニュアンスでも許せなくて
聞こえないふりをする。(注意はいちいちしない。別世界の考えの人だから)今では広辞苑にまで掲載されるのだからすごい認知度のある言葉だ。
高齢化社会の中、たしかに困った高齢者はいる。突然怒鳴りつける人はパーソナリティなのか、認知症なのかわからないが町中に存在する。私も仕事とはいえ怒鳴られたり、お茶をかけられたり、理不尽に叱責を受けたことも、まあ、ある。
でも、それって全高齢者代表じゃないでしょう、と強く思う。
「老人は~」「高齢者は~」と分母を大きくして語ってはいけない。
それは、だれでも同じでは。
「最近の高校生は~」真面目な子も、真面目そうに見えて真面目じゃない子も、思いやりがある子も意地悪な子もぜんぶ含む?
「最近の40代は~」仕事も、家庭環境も、生活環境も、性別も全部違うよ?
共通点は人間というだけ。
私は高齢者の方と接していて、支援する側だけど日々接することでたくさんの学びがある。
戦時中や戦後、ベビーブーム・・・教科書でしかしらないお話。家族関係の変化。本当に激動の時代を生きてきた方々だなあと思う。
なるべく、健康状態悪化なく、望むような日々を送ってほしい、頑張った方々に平穏な日々を送ってほしいと願いながら仕事をしている。
「経験」にまさる教科書はない。耳が遠い、目が悪い、膝が痛い、たくさん生きれば何かしら弱い部分はある。でも強みもあるから。
いろんな不具合を抱えながらも過ごす方々に丁寧に接したい。
佐藤愛子さんの「上機嫌の本」を時折思い出す。そして気を引き締める。
「なに? 可愛いおばあちゃん? チェッ!」
「そんなものになりたくもなし、なれっこもない」
そうだよなあ、自分の子どもや孫のような年代が「かわいい」と言うなんて失礼な話だよなあと思う。
【老人にとっての害=老害】にならないように気をつけないと、と時折思い起こしつつ、今日も私は出勤する。
「思うような形で長生きできますように」