5分前に話したことを忘れてしまう、繰り返し繰り返し同じ話をする、1分前に渡したものを「もらってない、市役所の人が持って行った」と話す認知症の女性Aさん。
これまで1人で立派に生きてきた自負があるから、介護保険なんてとんでもないと拒否。当然サービスは何も入っていない。
それでも役所から届く書類や各種支払いなどに直面するたびにパニックになってしまう。混乱するたびに地域包括の窓口にたくさんの紙類を袋にいっぱい入れてやってくる。
だから私は「困っている」「パニックになっている」Aさんしか知らなかった。
ある日、Aさんのお宅に見守り訪問で伺った。
・カレンダーや時計(日付変わってるかな、何か書いて忘れないようにしているのだな)・購読している新聞名(郵便受けにたまっている場合連絡してもらえる)・キッチンや生活状況(食べられているかな)・生活は成り立っているかな・言えない困り事はないかなと部屋を見させていただく。
Aさんはこれまでたくさんの苦労と経験を重ねてきた方だった。親とも夫とも死別し、子育てしながら仕事を続けてきた。お話を聞きながら強くたくましく生き抜いてきた方なんだなと思っていた。するとふいに「あなた、市役所の方?」「そうだった包括ね」「お名前は?」「あなたは娘と知り合い?」と急に不安そうに確認する。その都度名刺を見せ、自己紹介する。でも渡した名刺は途端にどこに置いたか貼ったか、はさんだかわからなくなってしまい鞄の中をずっと探している。
こうして本日の訪問は終了。
事務所に戻る途中で忘れ物に気がついた。あっ、日傘を忘れた。もう少しで事務所に着くところだったのに!自分のそそっかしさに苦々しい思いで、また道を引き返す。
包括の事務所から電話が鳴った。「いまAさんから電話が来たわよ。日傘忘れてますよ、って。ヤマダさんに伝えてくださいって」
え?電話??驚いた。
電話をかけることが難しい状況のAさん。
話をしていても誰と話しているかわからなくなってしまうのに。1時間の訪問の中で何回も何回も名刺を亡くしてしまっていたのに。名刺を見て電話をくれたのかな、よく名刺が見つかったな・・・そんなことを思い早足でAさん宅に戻った。
インターフォンを鳴らした。
玄関に出てくれたAさんは日傘を手に大切そうに持っていた。
「あの、電話したの。合ってたかしら。間違ったところに電話してない・・・?かな・・・?」
「間違っていないです。包括の事務所に電話いただきました。電話いただいて本当に助かりました!ありがとうございます」
Aさんの顔がぱあっと明るくなった。本当に雨上がりみたいにぱあっと晴れわたった表情だった。
「よかった。困るかな、と思って」Aさんはにこにこしてる。
「あなた忙しいでしょ。頑張ってね」と日傘を手渡してくれた。Aさんが応援してくれた。
心から嬉しかった。
強く生きてきた方だ。強く優しい方。Aさんはただ混乱したり困っている人ではない。
私たちが接しているのは、その人の人生のほんの一部であり、24時間の中のほんのひとときだ。混乱もパニックも認知症もその方のほんの一面だ。そんなことをあらためて感じた。
事務所に帰ると先輩方に「さすがヤマダさん。わざと日傘忘れてご本人の持っている力を引き出すという高等テクニックね」なんてからかわれてしまった。でも自分のそそかしさもたまには悪くないか、と思うことができた日だった。
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